Derek and the Dominos / Layla and Other Assorted Love Songs

 

今回は久々のアルバム紹介します☆ (*´∀`*)

 

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てか ほんと久しぶりのアルバム紹介ですね☆ この前が2月末のフェイセズなので

5ケ月近く開いちゃいましたね。 (⌒_⌒;

 

紹介したいアルバムは数あれど なかなか時間が足りず(;´Д`●)

外タレさんのライブ見に行くと そちらを優先したく ってな感じで・・・・

まぁ のんびりやらせていただきますね。 (*´ω`*)

 

 

 

 

さてさて 今年でエリック・クラプトン、 ヤードバーズから数えること50周年で御座います!!

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そんなわけで今回は クラプトン作品の中でもいちばん思い入れのつよいアルバム

紹介しますね☆  僕が20代前半の頃よく聞いてたやつです♪

 

 

エリック・クラプトン/初期活動歴

◎ The  Yardbirds 1963~1965(在籍)

◎ John  Mayall  &  The  Blues  Breakers 1965~1966(在籍)

◎ Cream 1966~1968

◎ Blind  Faith 1969年6月~1969年10月

◎ Derek  and  the  Dominos 1970~1971 ←今回はココです☆

 

 

ざっくり言うと、 

エリック・クラプトンブラインド・フェイス解散後アメリカに留まり 

デラ二ー&ボニー&フレンズと活動を共にします。

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アメリカ南部のブルース・ロックやサザン・ロックに強い影響を受けたクラプトンは

バンドから ボビー、カール、ジム を引き抜き新たにバンドを結成。

1970年 1stアルバム発表。 1971年 2枚目のアルバムのレコーディング中に

クラプトンとジムが激しい口論tなったことで製作は中止されバンドは解散します。

 

 

 

†.。*・☆†.。*・☆†.。*・☆†.。*・☆†.。*・☆†.。*・☆†.。*・☆†.。*・☆†.。*・☆†.。*・☆†.。*・☆†.。*・☆

 

 

60年代末のザ・バンドらの南部に根ざしたサウンドの登場にクラプトンは

大きな衝撃を受けたといいます ∑ヾ( ̄0 ̄; )ノ

それ以降彼はデラニー&ボニーら米国人ミュージシャンたちとの活動にどんどんのめり込み

遂に1970年になって それまでの英国人の大物同士のグループとは対照的に、

3人の無名の米国人との新バンドを結成します。

 

それがディレク&ザ・ドミノスです☆ 

 

 

Derek  and  the  Dominos

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◇ Eric  Clapton  ( Vo、 Gr )

◇ Bobby  Whitlock  ( Key、 Vo、 A・Gr )

◇ Carl  Radle  ( Ba、 Per )

◇ Jim  Gordon  ( Dr、 Piano、 Per )

サポート・メンバー

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◆ Duane  Allman  ( Gr )

 

 

そこに米国人の名ギタリスト、 デュアン・オールマンを加えて録音された「いとしのレイラ」は 

クラプトンのアメリカン・サウンドへの熱い思いが詰まった珠玉の名盤なのです♪☆♪

Layla & Other Assorted Love Songs

Layla & Other Assorted Love Songs

 

 

 

68年11月のクリーム解散から 70年12月のディレク&ザ・ドミノスの「いとしのレイラ」

リリースまでの約2年間にエリック・クラプトンの音楽は大きく変貌します。

細かく時系列に主だったレコーディング参加作品並べると

 

69年 3月 クリーム 「グッバイ・クリーム」

     8月 ブラインド・フェイス 「ブラインド・フェイス

   12月 プラスティック・オノ・バンド 「平和の祈りをこめて」

70年 4月 デラニー&ボニー 「オン・ツアー」

     6月 クリーム 「ライブ・クリーム」

     7月 エリック・クラプトン 「エリック・クラプトン

    11月 ジョージ・ハリスン 「オール・シングス・マスト・バイ」

    12月 ディレク&ザ・ドミノス 「レイラ」

(これ意外にもビリー・プレストン、ドリス・トロイなどジョージ・ハリスン関係の

レコーディング・セッションやら、 レオン・ラッセルやスティーヴン・スティルスの

アルバムへのゲスト参加などあり)

この期間のクラプトンの活動をたどってみると その変化が必然であったこと、

そこに最適なミュージシャンたちとの幸運な出会いがあり、 状況が展開していく

様が見て取れます☆

 

 

 

クリームの人気はまだ根強く、ブラインド・フェイスの実体が

すでになくなっていることも知られず、 そのセカンド・アルバムを期待されていた時期に

突如届けられたのが ファースト・ソロ・アルバム「エリック・クラプトン」であり、

それから半年も経たないうちにリリースされたのが 無名に近いミュージシャンからなる

新グループのデビュー・アルバム 「いとしのレイラ」だったわけです。

 

 

今でこそクラプトンの代表作とされ ロック史における名盤の一枚として

度々特集記事も組まれる「レイラ」ですが、 当時 クリーム~ブラインド・フェイス

激しく先鋭的な熱にあてられたリスナーからしてみると、 

クラプトンのソロ・アルバムと「レイラ」は期待外れのレッテルを貼られてしまったようで

リリース当初の評価は芳しいものではなく、 特に英国ではチャート・インすらしませんでした★

 

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「レイラ」に至るクラプトンの活動を振り返ってみると、 その契機になったのは

二組のミュージシャンとの出会いがありました。

 

ザ・バンドと

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デラニー&ボニーです。

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まだクリームが存続していた68年 ボブ・ディラン&ザ・バンドの

「ベースメント・テープス」を入手したクラプトンは その音楽に魅せられます。

デラニー&ボニーを知ったのもおそらく同じ頃、

実際ロサンジェルスで演奏を見て気に入ったジョージ・ハリスンがテープを持ち帰り

クラプトンに聴かせたそうです☆

ブラインド・フェイスのアメリカ・ツアーで クラプトンはデラニー&ボニーと

そのバンドであるフレンズを前座グループとして起用。

彼等とのセッションを重ねる内にすっかり打ち解けたクラプトンは

次第にブラインド・フェイスに対する興味を失って行きます・・・・

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そして、 この無名に近いグループをヨーロッパの聴衆に紹介したいとツアーを計画。

69年秋にスタートした彼等のヨーロッパ・ツアーでクラプトンは

デイヴ・メイスンやジョージ・ハリスンと共に ツアー・メンバーの一員として

彼等をサポートすることになります。

69年12月の英国でのデラニー&ボニー&フレンズ・ツアー最終公演のライブ録音盤が

「オン・ツアー」であり、 このアルバムは ”スワンプ・ロック” という言葉を

世界中に知らしめる役割を果たします。

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その後 フレンズのメンバーたちはデラニー&ボニーのもとを離れ

その大半がジョー・コッカーのマッド・ドッグス&イングリッシュ・メンに参加。

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一方、 同時期にデラニー&ボニーから去ったキーボード奏者のボビー・ホイットロックは

スティーブ・クロッパーからのアドバイスで クラプトンの家に転がり込み居候となります。

 

二人は曲作りを始め やがていくつかの新作も出来ます。

ホイットロックは以前の仲間であるジム・ゴードンとカール・レイドルに声をかけ、

彼等がセッションに合流したことでバンドが形成されます☆

 

因みに最初に予定されていたドラマーはジム・ケルトナーでしたが、

ジムは別の仕事が入っていた為 流れてしまいました。

 

 

この新グループは70年6月14日のロンドンのライシアムで初ステージを踏みますが、

この時点ではまだ名前がついてませんでした。

MCを努めたアシュトン・ガードナー&ダイクのトニー・アシュトンが

”デル&ザ・ドミノス” (デルはエリックの愛称)とステージで紹介。

その後 ”ディレク&ザ・ドミノス” となります☆

最初は冗談半分なバンド名ではありましたが、 エリック・クラプトンという看板ではなく

バンドに注目して欲しいという想いが込められたネーミングではありました☆

(このステージまでバンド・メンバーにデイヴ・メイスンも在籍していましたが、

自身のソロ・アルバム「アローン・トゥゲザー」のプロモーションのためアメリカ・ツアーを

行うことになり、 デビュー・ステージのみでディレク&ザ・ドミノスを去りました)

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70年8月にマイアミのクライテリア・スタジオに入った時点で

クラプトンとドミノスのメンバー3名はすでに1年間共に演奏しており、

結束はゆるぎなく固まっていました☆

しかしながら この段階での新曲はアルバム1枚を満たす曲数には足りませんでした。

 

そこに幸運な出会いがもたらされます ★*♪。☆*★*♪。☆*★*♪。☆

デュアン・オールマンとの出会いでした。 ★*♪。☆*★*♪。☆*★*♪。☆

 

オールマン・ブラザース・バンドの「アイドルワイルド・サウス」のプロデューサーでもあった

トム・ダウドによって引き合わされた二人の白人ブルース・ギタリストはお互いファン同士

だったこともあり、 たちまち親密になります。 (○´・д・)ノ o(・ω・´*)

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デュアンの参加が触媒となり、 クラプトンの創作意欲は一気に爆発します!!

スタジオ・ジャムを重ねるなかで新しい曲が次々と形を整えていきました。

 

 

アルバムを完成させたバンドは10月23日と24日のフィルモア・イーストに出演。

この時のライブ録音は 73年になってから「イン・コンサート」としてリリース

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71年4月 ディレク&ザ・ドミノスはロンドンでセカンド・アルバムのレコーディングを

開始しますが その頃にはドラッグや女性問題など多くのトラブルを抱え込み

数トラックが録音されるものの 翌月にはクラプトンとジム・ゴードンが衝突・・・・・

ライシアムでのデビュー・ステージから11ケ月でディレク&ザ・ドミノスは崩壊します★

 

 

 

 

♪☆・゚:*:゚♪☆・゚:*:゚♪☆・゚:*:゚♪☆・゚:*:゚♪☆・゚:*:゚♪☆・゚:*:゚♪☆・゚:*:゚♪☆・゚:*:゚♪☆・゚:*:゚♪☆・゚:*:゚

 

 

 

ここまで長々とクラプトンがアメリカ南部のブルース~サザン~スワンプ・ロックに

強く影響を受け、 ディレク&ザ・ドミノスを結成し1stアルバム「いとしのレイラ」の

発表に至るまでを書いてきたわけですが、

このアルバムを語る上で どうしても避けて通れない部分があります!!

 

40代以上の人には ご存知の方も多いと思われるお話しですが

「いとしのレイラ」に入っている曲は全て 当時ジョージ・ハリスンの妻であった

パティ・ボイドに捧げられたものだと言います♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥

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ここまでその事を知らずに読んで頂いた方には  なんじゃそりゃ!? Σ(・ω・ノ)ノ・・・・・

って話ですよね (⌒_⌒; まぁ たまたま 南部のロックとパティに出会ったタイミングが

重なっただけで、 本人にとってはどちらも至って真剣なわけで御座います。ヽ(´Д`ヽ

 

 

ではではその辺の事も もうひとふんばり書いていきます☆

 

 

CREAMを解散し、 Blind  Faith の計画が持ち上がった頃

クラプトンとジョージ・ハリスンは車で30分ほどのところに住むようになり

頻繁に交流する様になりますが、

そこでクラプトンはパティに恋をしてしまいます♥♥♥♥♥

 

最初は バンドでの成功、車、そして美人の妻という 

すべてを持つジョージへの嫉妬もあったと言いますが、 すぐにパティの

表面だけではない内面的な美しさへ想いが募っていきます♥♥♥♥♥

 

デラニー&ボニーのイギリス公演時にパティが連れてきた妹のポーラに興味を持ったジョージが彼女と寝るために、 クラプトンはパティと寝てくれないかとジョージに頼まれたことが

あったといいます・・・・・・

にわかには信じがたいエピソードですが、 「エリック・クラプトン自伝」(イースト・プレス刊)

に書かれてありますね。 (; ̄ー ̄A

しかし結局クラプトンは パティの妹のポーラと暮らすようになります。

 

 

70年11月に「いとしのレイラ」は発表されます。

この頃クラプトンはジョージにもその想いを打ち明け パティにはアルバムを聴かせ

一緒に住むことを申し入れます。

(パティの妹ポーラは「いとしのレイラ」を聴き クラプトンのパティに対する想いを

知った時点で クラプトンのもとを去りました)

しかし、 ジョージとの結婚生活に満足していなかったものの 

彼女の決断は無く、 クラプトンは失恋 ーーー(TДT|||)ーーー

そして ジミ・ヘンドリクスデュアン・オールマン という心から敬愛したギター仲間達が

次々と亡くなった事にショックを受け ヘロインに恥溺するようになります・・・・・

 

 

 

 

 

ようやく気持ちが音楽に向かうようになって作られたのが

74年7月に出た「461 Ocean  Boulevard 」

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ボブ・マーリーをカバーしたシングル「 I  Shot  the  Sheriff 」

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どちらも全米1位となりクラプトンの復活を強く印象づけます☆

 

 

そのツアー中にジョージと別れてしまったパティがLAにいることを知り

再会した二人はついに結ばれます。 ♪(* ^^)・^*) ♪☆、。・:*:・゜`★.。・:*:・

 

 

ただヘロインは止めたものの今度は酒浸りの状態となり

正真正銘のアルコール依存症へと陥っていきます。

実はパティもかなりの酒飲みで、 それが依存症に拍車をかけました★

それでも76年頃にはパティーとハートウッド・エッジで一緒に暮らすようになり

地元の一般の人達とも交流するなど 精神的にも落ち着いた

待望の幸福感に満たされた生活を送るようになります☆、。・:*:・゜`★.。・:*:・♪

79年に二人は実際に結婚♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥

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89年に離婚されてます。

 

 

 

 

 

最後にもうひとつだけこの頃のクラプトンの動向について触れておきますね☆

 

 

ハートウッド・エッジでパティと暮らし始めたクラプトンですが、

同時期に付き合いを深めるのが 元スモール・フェイセズフェイセズ

ロニー・レーンでした☆

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(僕のブログ読んで頂いている方なら ロニー・レーンの事はよくご存知かと。

まだよく知らない方いらっしゃいましたら 過去の記事にスモール・フェイセズ

フェイセズありますので そちらもどうぞ。m(_ _)m )

 

ロニーとはスモール・フェイセズ初期の頃からの知り合いであり

フェイセズ脱退し 新たに結成したスリム・チャンスの音楽性にも

クラプトンは共感していました♪♪

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当時のロニーは移動トレーラーやテント等を使った ロニー・レーンズ・パッシング・ショーを

やったりしていた時期で、 交流が深まるにつれてクラプトンの音楽性にも影響を

及ぼすようになります☆  親密度を増した二人はロニーの「セルフ・タッパー」と

仮題された次のアルバムのために77年7月からレコーディングを開始するものの

その半ばで ロニーが難病の多発性硬化症を発病してしまい中止せざるをえなくなります。

 

 

この事が後に三大ギタリストが初めて集う、 1983年ロンドン、ロイヤル・アルバート・ホール

で行われる「 Arms  Concert 」に繋がります。

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              ※参考文献  ◎レコード・コレクターズ 2000年8月号

                     ◎レコード・コレクターズ 2013年2月号

 

 

 

 

 

 

 

ではでは「レイラ」からの曲を幾つか紹介しつつ

また次回までご機嫌よう (。・・。)ノ PEACE!!

 

 

 

 

Derek  and  the  Dominos  /  It's  too  Late


DEREK AND THE DOMINOES ON JOHNNY CASH ... 

僕が知る限りドミノスで存在する唯一の動画がこれです☆

Jonny  Cash  TV  Show  からの動画ですが、

ドミノスで1曲演奏したあと なななんと!! カール・パーキンス出てきて

カール・パーキンスはエルビス等と並ぶ初期ロックンロールの立役者です!!)

ドミノスwithジョニー・キャッシュ + カール・パーキンス

カールの代表曲「 Matchbox 」を演奏しちゃいます!!!!!!!!!!

てか、 ジョニー・キャッシュどこにマイク付けてんだ・・・・(o゜ー゜o)??

因みにジョニー・キャッシュも有名なカントリー・ロック歌手ですが

彼の伝記映画「 Walk  the  Line  ~君につづく道~ 」が2005年に公開されてます。

気になる方は是非こちらも見てみて下さい。 お勧めです☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 
Derek & the Dominos - Bell Bottom Blues - YouTube

Wonderful  Tonight  ~  Tears  in  Heaven  ~  Change  the  World

と続くクラプトン珠玉のバラードの系譜ですが、 

全てはこのベル・ボトム・ブルースから始まってるのですね☆

因みに アルバム、スロウハンド収録の「ワンダフル・トゥナイト」ですが、

この曲もパティに捧げられた曲みたいですね。♥ ♥ ♥

 

 

 

P.S. ドミノスの「レイラ」を語る上で このアルバムのプロデューサーである

トム・ダウドの存在も欠かす事はできないんですけど、

「トム・ダウド / いとしのレイラをミックスした男」ってタイトルでDVD発売&レンタル

してるので こちらもお勧めです☆☆☆

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